佐野光来

佐野光来

佐野光来

 二月の終わり、季節外れの春日が訪れたその一週間後に、親知らずを抜いた。その日はとても寒い日だった。

 わたしの親知らずは上も下も四本しっかり根の太いものが歯茎のなかに身を潜めていて、いつだってきっとその気になればぜんぶ抜くことができるのだけど、下の歯のほうは歯の神経が顎の神経に触れているとかなんとかで、仮に抜けたとしても顎の神経に傷がつけば、しびれが残る可能性が高いので、抜くなら口腔外科、手術必須、今のところ埋もれているし悪さはしないだろうとのことで手がつけられないでいる。

 左上の親知らずは十年ほど前に生えてきたのを抜いていて、今回は右上。奥歯なのか歯茎なのかが急に痛くなって歯医者に行ったところ、飛びだした親知らずと奥歯がぶつかり、そこから虫歯が広がっている、治療をしつつ、親知らずも抜いたほうが良いでしょう、と先生。久しぶりの虫歯の痛みにも震えたけど、しかしまあ、どうして今ごろ、親知らず。このタイミングで親知らず、抜くとは思っていなかったな(いつどのタイミングでもそう思っていたと思うけど)。

 奥歯、ということばをきくといつも川上未映子さんの「わたくし率 イン歯ー、または世界」という小説を思い出す。うろ覚えだけど、奥歯におるぱんぱんのわたし、わたし=奥歯という、、(ざっくりすぎてごめんなさい)。根拠はないけれど、なんかわかる気がするぞ、、という感触だけがなぜだかずっと残っていて、今回の抜歯でそれは確信に変わったのだった。

 当日は血やら痛みやら腫れやら、抜いたときのあの感覚、麻酔は効いていても、歯をねじり引っこ抜かれるあの感覚(マジ怖い)から逃れるのに必死で気づかなかったけれど、抜歯二日目からすこぶる調子が悪い。もう痛いとかじゃなく、こころのバランスが全くとれない。持ち前のネガティブ思考に拍車がかかって、あのときのあの人のあのことば、あの態度、あの視線、あの沈黙、、どうしてなの、、みたいな感じで渦のようにバッド要素が流れ込んでくる。もしかして、すごく大事な、バランスをとるための役割を奥歯が、あの一本の歯が、担っていたのかもしれないと、思い至ったわけです。どこがわたしという人間を担って支えてくれているかなんて、ほんとはよくわからないもんね。

 あったものがなくなる、というのはときに立ち直れないくらいに哀しいことだし、それが、急に、麻痺までさせて強制退去させられるのだから、そらびっくりもしますよね。なくなった状態に慣れるまで時間がかかるのも無理はなくて、だけど十年前に抜いた左上の奥歯の奥を舌先でつつくと、もうそこはがっちり硬い歯茎になっていて、たくさん血がでたことも、穴ぼこがあったことなんて、思い出せないくらいに正確な、形になっている。わたしたち生きものに、うまい具合になにもかもをゆるやかに忘れて、更新する機能が備わっているのは、ひとつの、神からのギフトなのかなあ。ていうか、身体とこころが同時に実存するにあたっては、やっぱり時間っていう概念がないときついのかも。今しか生きられない、ということ、時間は前にしか進まないということ、覚えておく、と忘れていく、が重なり合って過ぎてって、また何年か経ったとき、右上の奥歯の奥を舌でつつきながら、あのときしんどかったなあ、と他人事みたいに懐かしむんだろうな。

 でももう抜きたくない、親知らず2024

 あと、人の歯を抜ける歯科医師って仕事のメンタルってばほんとすごいよね。麻酔がなかったら死ぬほど、ほんとに死んでしまうことだってあるほどに、痛いだろうし、医療に感謝した日でもあった。


 

 東京はもうすっかり春。桜も咲き始めたり、散り始めたりしているね。親知らず抜歯から一ヶ月弱。春の陽気に誤魔化されながら調子も幾分戻ってきた。みなさまはお元気?新生活、新学期、新年度、春に押し寄せるもろもろにどうか挫けず、面白がるくらいの心待ちでいられますように。

 ゆっくりやってこうね。

 お久しぶりです。

 最近初めてエステ、のようなものに行きまして、わたしがエステに行こうが行くまいがそんな話はほんとどうでもいいのだけど、その体験がわたしが勝手に思い描いていたそれとはちょっと違ったので、ぜひその話がしたくて、だけど急にわたしがインスタグラムに美容の写真を載せたりしたらなんだか怪しさマックスなのと、あともうすでに長いけど、めちゃ長くなりそうだったので、ちゃんと書こうと思って、こちらを久しぶりに稼働させました。笑

 まずは30代女子佐野のお肌事情からつらつらと綴りますので、興味ある方だけ進めてくださいね。お願いします。

 

 30代を越えてから、肌がくすむ日が多くなって、特に生理前なんかは土色、ほんとになにをどうしても土、それに加えてシミなのかそばかすなのか、もしかすると肝斑なのかさえ分からない模様たちも一段と濃く見えるようになってきました。こういう話をするとえー、そんなことないよ、という声が飛んできたりもするのだけど、自分がね、あくまで自分が気になるし、顔面土色については、女子ズの共感を得られるのではないかと思います。明らかに20代のころとは違うわけなのです。色々と試してみたものの思うような結果はでず、正解も分からないままおりました。

 飲まなくてはいけない薬の副作用とか、これまでの生活の蓄積もあるし、年齢を重ねるうえでそれらはごく当たり前のことであって、あらがわずなにもしないほうが美しい、心さえ綺麗でいれば大丈夫、となんだかんだ言い聞かせながら、付き纏う懸念を払拭し、いつの間にか肌に対して時間もお金もこころもかけることさえしなくなっていた。の、だけれど、あーちゃんの紹介でesprit beautyに通いだしてから、霧が晴れたような気持ちになりました。

 なんていうか、すごく大事な、「そうか、そもそも特別白い肌でいたいわけでも、そばかすを消し去りたいわけでもなくて、ただどんよりした顔色でいることがしんどかったのだな、!」という思いに気づくことになるのです。

 西岡さん(エスプリで施術をしてくださる方です)は、夏にたっぷり日焼けしたわたしの肌に驚くこともなく、それでも日焼けやホルモンバランスに揺るがない肌を作れること、体調が悪くても肌だけは明るく保てること、その美容の在り方についてを教えてくれました。

 美容って表面のこと、というイメージがあって、色々やってみることになぜだか後ろめたさがくっついており、それはたぶん、こころと体が資本であるということから離れている気がしていたからで(お金もそれなりにかかるしね)、誰もなにがほんとうに大切なことなのか教えてくれる人はいなかったのだけれど、西岡さんは、食べものの話も飲むものの話も、なんてことない日々のことまで、めちゃプロ施術をしながら(ずっと美容の世界におられる西岡さんがたどり着いた電流マッサージ、ほんとに気持ちいいんだよ)するするとたくさんのことを話してくれて、外から作用する内のこと、内から作用する外のこと、心体って(肌も含め)繋がっているよね、ということに深く頷き、そうして帰る頃にはお肌が光ってもっちもち、肌というか身体中、内から外まで全てが発光、こんなにも明るく前向きな気持ちになれるなんて初めてで、それからのわたしは、継続してとても機嫌が良いのです!こんな嬉しいことってないよね!

 西岡さん、紹介してくれたあーちゃん!ありがとうございます。

 西岡さん監修のもとエンビロンも始められたし、あと写真のNMNクリーム(彩未いわく、神クリーム)、これがまたすごくて、水を塊にして肌にぶち込む(言葉が悪いですね)感じ、使うたびに感動します。

 日々、揺らぐこころと身体だけれど、丁寧にときどきズボラでもおっけー精神で、これからも向き合っていこうと思ったのでした。とにかく驚きの体験でしたので、長い文章とともにシェアします。やっと悩みの入り口に立てたようなそんな気持ちです。

 ぜひ、エスプリのインスタも見てみてくださいね。西岡さんのお料理やコンブチャ、美容のストーリー、マジで勉強になります。

 女子って大変だけど、楽しいのかもしれないな。

 あっという間に年が変わり、春がきたと思ったら夏も間近、追いついたり追いつかなかったりする毎日ですね。

 どうかみなさんが穏やかに過ごせていますように。

 では、また。

 2020年の終わりに、「ああ、ここにくるための全てだったのか、、」みたいな、ふに落ちる、という瞬間をたくさん体験しました。
 これまでは、生きてきた時間がわたしを突き動かしているのだと思い続けてきたのだけど、どうやらわたしを動かしているのは、未来のほうなんじゃないかと思うようになりました。クリストファーノーランのインターステラーっていう大好きな映画があるんだけど、この映画を見たらもしかするとなんの話か分かるかもしれません。未来の自分が、今や過去の自分にアクセスしてるイメージ。
 過去も今も未来も同時に起こり続けている、というような感覚ともいえるでしょうか。
 いつもなにかとなにかの、どこかとどこかの途中のはずで、でもじゃあどこへいこうとしてるのか、なにをしてるのかたまらなく不安になるときもあるのだけれど、そんなときは少しだけ長く休憩をして、休憩するとすごく色々なことを観察できるし、観察すると感謝できるし、そうすると自然に次のことが見えてくるような気がします。選んでいく、進んでいく。過去ベースではなく、未来ベースでそれらをやっていく、ということを柔らかな気持ちで考え続けています。
 だからどんなに悲しいことも、悔しいことも、許せないことも、不安なことも、いつかの誰かからのあるいは自分からの贈りものであると思いたいし、誰のせいでもなく、自分のお陰で自分が、成り立ちたいなと思います。
 点と点が結ばれる嬉しさに、過去が救われる優しさに、もっと出会いたいし、出会わせてあげられる人になりたい。
 2021年はそんなふうな年にしたいです。
 また新しい、まだ新しい、世界がたくさん待っているね!
 どうかたおやかに過ごせますよう。
 いつも優しく応援してくださる皆様へ、ありがとうございます。
 これからもよろしくお願い致します。
  無事に「新年工場見学会2019」が終わりました!
  私はハイバイの「〜なにかのニセモノ〜 八王子の雑貨屋」で、高樹という役をやらせていただきました。


  ざっとあらすじを。。(あらすじと書きながらぜんぶみたいになってしまった)
  全国を旅してまわってはその土地で起こった話を聴く旅の法師が、八王子で雑貨屋を営む“やまもと”と出会います。やまもとは旅の法師に聞かれます。「その男はなんだね?」やまもとの後ろには男がついているというのです。男の姿はやまもとには見えません。心当たりのあるやまもとは、身の上話を始めます。現れる雑貨たち。雑貨を愛でるやまもと。
  ヨーロッパで買い付けてきた雑貨の価値は、あまりお客さんには伝わりません。なかなかうまくいかない経営のなかで、ある男がふらっとお店にやってきました。広告代理店で働く金持ちの男、松田でした。彼は雑貨屋に癒しを求め、お店に通うようになるのです。高額商品の雑貨でも松田は嬉しそうに購入していきます。やまもとは、そんな松田の存在に救われる想いがします。やまもとと松田の関係性が出来上がってゆくなか、雑貨に吸い寄せられるように、新たな客、高樹が店にやってきました。静かに雑貨と漂う高樹に、心動かされるやまもと。彼女の存在にもまた救われたような気持ちがしたのでした。高樹と話したいけれど、いつも店にいて大きな声で喋る松田の存在が少し疎ましく感じ始めたやまもとは、松田にある提案を持ち掛けます。それは松田をフランスへ、雑貨の買い付けに行かせるという提案でした。そして起こる松田の悲劇。松田はフランスのぼったくり絵描きに引き止められ、あれよあれよと殴り合いの喧嘩をしてしまいます。全身ひき肉になり、殺されてしまう松田。高樹と松田はフランスでの暴動の目撃者と共に、フランスに渡ります。松田の最期の姿を追いかけるようにフランスを歩くやまもとと高樹。悲しみの先で求め合うふたり。。。壮絶なラストシーンへ繋がってゆく。。。
  と、いうお話でした。笑

  初めて台本を読んだときは、雑貨って、なにを置くのかなあと思っていたけれど、私たちは私たちのからだで、布とか地図とか、たくさんの雑貨になることができました。雑多に置かれた椅子は、飛行機にも、絵画にも、ドアにも、それから人間にもなりました。
  演劇の力を目の当たりにしてほんとうに感動しました。
  目撃者でありながら、見て見ぬふりをしたりだとか、悲しみながらも、捨てられない欲望があったり。信じたいように信じる、ものやお金の価値について、そのエゴのようなもの。
  そういえば自分も、あっち側でもあればこっち側でもあるときがあるよなあ、と感じるたくさんの瞬間がお芝居のなかにありました。
  実態があとからあとから追いついてくる、演出、とても勉強になりました。

  そんなわけで初めての舞台が、みなさまのおかげでほんとに貴重な体験になりました。感謝です。

  世の中のどこかで起こる、不思議な出来事が、ひっそりとこれからも続いていくといいなあ。雑貨屋さんのことも、折にふれて思いだすといいなあと思います。
  新年工場見学会という、お正月の演劇に出演させていただくことになり、昨年末は短い期間ではあったけれど、毎日稽古をしておりました。
  初めての舞台で、ほんとにとても緊張していたようで、何日かは固形物が喉を通るたび吐きそうになっていた。こんなのいつぶりだろう。

  明日から本番です。五反田団×ハイバイの、ハイバイのほうにださせていただきます。
  頑張ります。

  あの人は私かもしれないし、私はあの人かもしれないし、そのだれでもないかもしれないし、風景でもあれば、空気でもあれば、そのぜんぶでもある。というような、境界線のあやふやさを渡り歩くように、だれかのなにかのそしてわたしの、一部に、うっかりたくさんなれたらいいなと思います。

  そんなわけで、あけましておめでとうございます。
  今年もどうぞよろしくお願い致します。
  駅のタクシー乗り場からタクシーに乗り込むと、「なんだかなあ」とか「はあ」とか「ううん」みたいな運転手さんの音が漏れ続けていて、さすがに聞こえないふりができずに「どうしたんですか」と尋ねると、喋りだすので、話を聞けば、「さっき、チェッカーの車がね、タクシー乗り場で、ほら僕の後ろに止まってたでしょう、あそこのキクチくんっていうのとね、よくあの乗り場で一緒になって、いろんな話しをしたんだよね。最近キクチくん見かけないなあと思っていたんだけど、そしたらさっき後ろに止まってたチェッカーの人が降りてきて「うちのキクチがお世話になりました」って言うんだよ。なんだろうと思ったら、亡くなってしまったんだって。39だよ、、若いのになあ、、、」大きく吸い込んだ息を、ゆっくり長く吐きだすときみたいな、つなぎ目のない丁寧な口調で、運転手さんは話したけれど、こんなふうに誰かに、話を聞いてもらわなくちゃ、情報が体のなかで膨らみ続けていっぱいになって怖いとき、あるなあと思って、なにも言えなかったけれど、相槌しか打てなかったけど、キクチくん、で、満ちた車内のなかで、私も長く息を吐いて、会ったこともない人の命とか、運転手さんの握るハンドルの手や背中に向かって、「どうか、どうか、、」とよく分からないけど思ったりして、時間も痛みもこんなふうに一瞬、共有できる不思議について、人間について、悪くないな、と思ったりした。
  相手の気持ちになってってことばがよく口をついてでるんだけれど、ほんとは誰の立場になんかなれないことを分かってて、だから、痛みとかそういう類の部分は共有するの不可能だろ、と思ってて、わからないのだからわかってほしくもわかり合いたくもないと閉ざしていたときもあるんだけれど、一緒に悩んだり考えたり唸ったりすることは絶対に、できる。少なくともそういうつもりで生きていれば、そういう瞬間に出会える、のだと最近はそんな気がしている。

  積み重なってゆく日々を、大切にして、ダメなときはときどき放り出したりもして、また来年も同じようにやってゆこう。

  2018年も、お疲れさまでした!
西日が家々の隙間果実の橙携えて恭しく落ちかけ 電車のなか 拾えば拾うだけ落ちていくランドセルの中身を みていた
  駅の階段で、お母さんと息子の二組が上りと下りですれ違い、子どもが「あー、〇〇くん!」となって(たぶん小学校の同級生)、上りのお母さんが「あれえ、これからおでかけ?」と聞くと、下りの子どもが小さな声で得意げに「今日お母さんの誕生日だから」と教えてあげる感じで言って、お母さん照れくさそうに、「そうなのよ」と笑って、「わあ、じゃあご馳走だね楽しんできてね」「ばいばーい」という幸せなやりとりの場面に遭遇した。
  ぷっくりまんまるつやつやした男の子の顔、紅潮した頬、くねらせる身体、全てが最強に可愛かった。子どもってほんとに素晴らしい生き物だよね。
  クリスマスが近づくー!
  引きずっている。
  猛烈な咳を引きずっている。
  旅先で私、なにを吸い込んでしまったのだろう。咳が止まらないうえに鼻が詰まって呼吸が苦しい。というか、咳ってほんとに体力を奪われますね。お腹の周りの筋肉も、なんかへとへとにくたばっている感じがする。喉風邪→副鼻腔炎、さっき三度目の耳鼻咽喉科にて、もはや喘息、という診断をされました。総力戦の薬をだしてもらい、もう良くなるしかない。やっと食べ物の味もするようになってきたし、頑張らないと。
  私が通う耳鼻咽喉科は、地元の戸越にあるのだけれど、地元をでた今でも、皮膚科も耳鼻咽喉科も、結局地元のお医者さんに戻ってきてしまう。それが絶対に効くのだ(現に、一度目に出先で寄った耳鼻咽喉科ではなにも良くならなかった)。この信頼はなんにも変えがたい。それで病院ついでに、家から通っていた小学校までの道のりを一度必ず歩いてから帰ることにしている。遠い記憶がばたばたと引き出されては毎度当たり前のように、全てが小さくみえる。そして小さい自分がまだ生きて、その辺をうろうろ歩いているのではないかと思えてくる。もし見つけたら幸せになるんだよって声をかけよう、と他人事みたいに思いながら、そういえば最近みた舞台でもこんな台詞、あったなあ。オーストラマコンドーの「空と東京タワーと隣と隣」。これとても良かったです。今の私の状況に、非常に刺さるものがあった。幸せになるってほんとはすごく怖いことなんじゃないかという不安を、優しくすくいあげてくれる作品だった。年内にあとみたい舞台がいくつかあったけれど、この調子だともうみられないかしら。いやはや健康が一番だと思い知る年の瀬です。身体が異変起こすまでぐうーっと力入れすぎちゃう癖、そろそろ直したい。
  おやすみなさい。
  ひとりだととにかく移動がスムーズだった。例えば目的地付近の駅で地上に降り立ったとき、「さてここからいったいどう行けばいいのだっけか」みたいな、やりとりの時間を省けたりする。ポケットWi-Fiを借りて行ったので、グーグルに住所は入れておくのだけれど、とりあえずなんとなく左右どちらかにぐんぐん知ってるふうに歩いてみて、しばらく歩いたあと、ぱっと地図を確認する。間違ってたら、引き返せばいいだけのことを、無言で行うことができる。スリに狙われないためにも、慣れてるふう、なのは旅にでたときはすごく重要だ。目的地と目的地の合間に気になるお店があれば誰の了承を得ることもなく入れるし、飲むのも食べるのも、ひとりだと全然しなくても良かったりする。一度ある美術館の、小さな風景画の前で謎に涙がでてきたとき、ひとりでよかった、と思ったりもした。説明し合うこと、相談し合うこと、その間に放出される気遣いを皆無にすることができるらしいのだった。それと、「この景色、誰々と一緒にみたかった、みせてあげたいなあ」みたいなことを全く思わなかった自分の、どこまでもひとりな、淡白さにも驚いた。だから、私にとっての、ひとりで旅をするってなるほどね、こういうことなのかしらね、と頷きながら、面白かったなあ、気楽だったなあ、なんて帰ってきて、撮った写真を見返してみるのだけれど、その一枚一枚の、記憶の薄いこと…。こんな絵、みたっけ。。こんな場所、行ったっけ。。が続くのである。なんだろうこれは。ひとりだとどうも思い出の量に限界があるみたいだ。そうだとするならば、記憶する脳はひとつでもふたつでもみっつでも多いほうが、多彩で豊かな記憶になるのではないか。ひとりで旅をして、ぐんと広くなった世界は、帰ってくれば案外狭く、私が省き続けた無駄な時間のなかにこそ、ほんとはいちばん大切ななにかが詰まっているのかも。いやでもやっぱり気楽でよかったんだけど。またひとりで行ってもいいし、誰かと行くのも、悪くないんだろうなあ。誰かと行ったらグルメがしたいな。
  
  というわけで以上、旅の記憶でした。