その昔、志村けんさんの付き人をやられていた乾き亭げそ太郎さんの著書『我が師・志村けん 僕が「笑いの王様」から学んだこと』を読ませて頂きました。
この本を書いた乾き亭げそ太郎さん、実はこの方元々同じ事務所(太田プロダクション)の先輩でしてアイデンティティが事務所にお世話になりだした頃から僕達は本当に良くして頂いてる方なのです。
まぁ今はめちゃくちゃ疎遠ですけどね。
僕達が正式に太田プロでお世話になりだしたのが2005年からでして、今でも覚えているのが事務所ライブの時に周りはもちろん先輩だらけであまりこちらから喋れる方もいなくコンビでずっとモジモジしていた所に、初めて先輩から話しかけて下さったのが乾き亭げそ太郎さんでした。(その時はまだ前のコンビで本名の櫨木さんですけどね。いや櫨木て。本名も変わってんのかい)
僕達は東京アナウンス学院という専門学校でコンビを結成し、在学中でまだ太田プロに入るかどうかもわからない学生の頃から太田プロの部長さんに声をかけて頂き事務所ライブに出させて頂いておりました。
かと言って事務所のライブというのは所属する芸人が全員出場できる訳ではなく出場できる組数が決まっていて、ネタ見せを通過した芸人だけが出場できるというシステムだったので当時の事務所の先輩方はよくわからない学生芸人のせいで、月に一度しかない大事な事務所ライブの出場枠が1つ潰れてしまうことになるので、恐らくあまり僕達のことをよく思ってなかった方もいたと思います。
いろんな先輩方がワイワイしているそんな環境の中、20歳そこそこのクソガキ共に優しく声をかけて下さったのがげそさんでした。
具体的にどんな話をしたのかまではまるっきり覚えていませんが、とにかく緊張している僕達に優しく接してくれました。
当時はそんなに気にしていませんでしたが今思えばこの時げそさんが34歳くらいだったので、一回り以上離れている小童に気を遣って自ら優しく話しかけてくれたという行動はめちゃくちゃ凄いことだなと思います。
げそさんとはそこから本当に良くして頂き、ライブ後にコンビ揃って飲みに連れてって頂いたこともあります。
DE・SU・GA
その時にげそさんが僕達を誘ったはいいが手持ちがないことに気付き「ちょっとここで待ってて」と言って目の前のアコムに入って戻ってきた姿は今でも忘れません。
スターを取った時のマリオみたいな顔してました。
流石に僕達もその時は断ったのですが、その為にもう借りたんだから奢らせろ!と訳の分からないことを言われ結局ご馳走して頂きました。
世間的にはめちゃくちゃカッコ悪くて無茶苦茶な行動なのですが、少なくとも僕にはその時のげそさんはめちゃくちゃ面白くて無茶苦茶カッコ良かったです。
げそさんはイジられキャラで先輩からも後輩からも愛されていました。
仲良くして頂くようになり芸歴も歳もかなり上なのに生意気にも結構イジったりしていましたが、いつも笑いながら返してくれて一度も怒っている姿を見たことはありませんでした。
ん?
げそさんが書いた本のことちょろっと書こうと思っただけなのにめちゃくちゃげそさんとの思い出ばっか書いてんじゃん。
気持ち悪っ
なんかめんどくさくなってきちゃったな
TO・NI・KA・KU
この本は志村さんの付き人になる頃から現在までのげそさんの半生が書かれていて、当たり前のことですがほぼ知らないことだらけでした。
てゆーかげそさんの事を僕は全然知りませんでした。
もちろんげそさんが志村さんの付き人をやっていたという事は知っていましたが、当時の愚痴や苦労話などげそさんの口から聞いたことがなかったからです。
最初から最後まで全てのエピソードが興味深くてあっという間に読んでしまい、気づいたら最後めちゃくちゃ泣いてました。
げそさんの事を知っている分、余計に感情移入している部分はあるかと思いますが、げそさんの事をよく知らない方でも貴重なエピソードがめちゃくちゃ詰まっていて読みやすく面白いと思いますので興味がありましたら是非読んでみて下さい。
CHI・NA・MI・NI
げそさんが地元の鹿児島で活動することになり、今では鹿児島のスターになっているという情報が太田プロ芸人の耳にも入っているのですが、鹿児島に営業に行った時に現地の人にげそさんのことを聞いてみたら全く知らない様子だったので、僕はまだ信じていません。
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